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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)590号 判決 1968年11月19日

控訴人

京都市教育委員会

代理人

納富義光

被控訴人

北小路昂

ほか二名

代理人

能勢克男

ほか四名

主文

1  原判決中被控訴人寺島洋之助および同山本正行と控訴人との間の部分のうち控訴人の敗訴部分を取消す。

2  被控訴人寺島洋之助および同山本正行の懲戒免職処分取消請求を棄却する。

3  被控訴人北小路昂と控訴人との間の懲戒免職処分取消請求訴訟は、昭和四〇年一〇月二三日同被控訴人の死亡によつて終了した。

4  訴訟費用のうち被控訴人寺島洋之助および同山本正行と控訴人との間に生じたものは第一、二審を通じ同被控訴人等の負担とし、中間の争いに関して生じた訴訟費用は被控訴人北小路昂の相続人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。被控訴人等の請求(懲戒処分取消請求)を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

<中略>

第一、被控訴代理人の陳述

一、被控訴人等申立に係る審査請求につき、京都市人事委員会は昭和三〇年一月一一日原処分承認の判決をした。

二、(1) 被控訴人北小路昂は昭和四〇年一〇月二三日死亡し、同被控訴人の過去の給料請求権等(ただし、復職請求権を除く。)は、相続人において共同相続したが、その妻北小路ユリは昭和四二年一二日五日他の共同相続人より各相続分に応ずる遺産を譲受けた。したがつてユリは単独で本件訴訟を承継したものである。

(2) 被控訴人山本正行は昭和三八年四月一七日に行なわれた京都市議会議員選挙に際し同月二日議員の候補者として届出をした。当時同被控訴人は控訴人のした本件免職処分の公定力によつて公務員ではなかつたのであるから、公職選挙法九〇条によつて当該公務員たることを辞したものとみなされる余地はない。仮にそうでないとしても、同被控訴人が本訴により免職処分の取消を求めることは、公務員として有するはずであつた給料請求権等を回復するための必要な手段であつて、原告適格を有するものである(最高裁昭和四〇年四月二八日判決)。

三、告示の瑕疵(手続上の瑕疵その一)

(一)  当時施行されていた教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)三四条四項所定の告示自体が適式になされていなかつた。すなわち、

(1) 京都市役所南正面東寄りの位置に掲示板が設定されている。休日以外の週日には市民はその南正面の正門から自由に出入する慣行になつており、右掲示板の位置は休日以外の週日の会議の日時・場所等を周知させるには適式であるかも知れない。しかし、休日はその南正門は閉ざされており、右掲示板附近に赴く市民は全くいない。休日には同市役所東側通用門だけが開けられ、市民はそこから出入りすることができるのであつて、昭和二九年五月五日の本件臨時会の日時等を市民に知らせるには右通用門附近にその告示を掲示すべきであつた。控訴委員会がその告示を前記掲示板にしたのは不適式である。

(2) 同日控訴委員会事務局職員城守昌二は告示の用紙を隠し持つて前記通用門横の小門から出て一たん車道を横断し東側の歩道を迂廻して前記掲示板に告示したのである。当日右通用門附近には前記臨時会の傍聴希望者等がいたにもかかわらず、城守はことさら右告示の用紙を見られないようにかくして持つていた。このような方法でなされた告示は、告示の趣旨を失わしめるものであつて、不適式である。

(3) 城守が前記告示をしたのは、本件臨時会開会のせいぜい約一〇分前か、開会時刻とほとんど同時であつた。当時、会議開始前約一〇分間しか置くことができないほど「急施を要する」情勢は存在せず、右告示を目撃した者から本件臨時会の開催を伝え聞いた京都市民が傍聴に来る時間的余裕はなかつた。

(二)  当時、教育委員会の会議を召集するに当り、開会の日前三日までにその告示をなすべく、ただ「急施を要する場合はこの限りでない」と定められていた(同法三四条四項但書)のであるが、「急施を要する場合」であるか否かは、その当時の客観的情勢その他諸設の事情から裁量判断すべきである。ところで、当時(昭和二九年五月五日の臨時会当時)その告示の日から会議の日まで三日の期間を置き得ないような緊急性を認め得る客観的情勢は存しなかつた。昭和二九年四月一日被控訴人等に対する転補処分が発せられてから同年五月五日の臨時会までの間、被控訴人等を処分せよという意見は、控訴委員会に連なる。一部の父兄、校長会、PTA連絡協議会がこれを発表したにすぎず、ごうこうたる世論というようなものではなかつた。控訴委員会の会議において、被控訴人等に対しなんらかの処置を急速にしなければならない緊迫した情勢は存在しなかつた。被控訴人等は転補処分後も旭ケ丘中学校にとどまつて執務していたけれども、同校における授業等は整然と行なわれており、臨時会を急施する必要はなかつた。

さらに、「急施を要する場合」といい得るには、告示の日から臨時会の日まで三日の期間を置くときは控訴委員会の行政運営上著るしい障害を生ずるおそれがなければならない。しかし当時そのようなおそれは少しもなかつた。

四、本件臨時会の面開の瑕疵(手続上の瑕疵その二)

(一)  非公開の協議会における実質的審議

昭和二九年五月五日午前一〇時から午後二時三〇分までの間教育委員全員五名よりなる協議会が、本件臨時会に先立つて同一場所(京都市役所四階教育委員室)において開かれた。この協議会において、不破教育長より事件経過の説明があり委員間の意見の調整、被控訴人等の処分の是非が討論され、その結論が実質的に出された。この協議会は従前の協議会と同様に非公開であつて、とくに新聞記者数名が傍聴を許されたが、一般人の傍聴の可能性はなく、公開されていなかつた。したがつて本件時会においては、被控訴人等の処置に関する実質的な討論は行なわれてないのである。つまり非公開の協議会において、実質上被控訴人に対する本件懲戒免職処分(決議)がなされたのであつて、公開の控訴委員会の会議(臨時会)においては右免職処分の決議ならびに審議は実質上なされていないといわねばならない。すなわち、控訴委員会は脱法意図をもつて協議会を開き、公開の会議を実質的に回避したのである。

(二)  本件協議会自験の非公開

本件臨時会が開かれた昭和二九年五月五日には、京都市役所東側の河原町通りの通用小門だけが開かれており、他の門は全部閉ざされていた。右通用小門には宮島守衛以下六名の者が配置されて他の守衛三名は連絡の任務に当つていた。守衛全員に対しては、「旭丘関係者」はもちろん原則として何人をも構内に入らしてはならない旨の警備方針が指示されていたのである。同日午前九時頃から控訴委員会の会議の傍聴を希望する市民が右通用小門附近に来集し始め、やがてその数は約二〇名に達し、守衛に対し入門を要求したが、守衛は新聞記者その他特定の者だけの入門を許し、その他の市民に対しては入門を拒否した。何人も会議の場所たる控訴委員会の委員会室に入場することができなかつた。前記守衛等は右通用門附近に一団となつていた者をすべて「旭ケ丘関係者」であると誤認し入門を拒絶したのである。右守衛等はその範囲の不明確な「旭ケ丘関係者」ということばをもつて、これに該当する者の入門・入室を拒絶したのであつて、一般人の入室・傍聴の可能性は制限され、本件臨時会は公開されなかつた。

五、裁量権濫用等の瑕疵(実体上の瑕疵)

(あ)  原審において主張したように、被控訴人等に対する各転補処分は被控訴人等が旭ケ丘中学校において偏向教育をしたとの無根の事実を理由とする政治的左遷人事であつて政党による教育の不当支配である。本件懲戒免職処分もまた右と同様に政治的目的によるものであつて、裁量権の範囲をこえ、または裁量権を濫用したものにほかならない。

(い)  被控訴人等が転補処分を拒否して赴任しなかつたのは、教育に対する権力の不当な支配を排除し民主的教育を守り教育の自主性を確保しようとする正当な動機・目的によるものである。不当な動機・目的による転補処分の拒否と異なるのであつて、本件懲戒免職処分は比例原則・平等原則に反する裁量権の濫用にほかならない。また被控訴人等の転補処分拒否は、その属する京都市中学校教職員組合自体の正当な活動にほかならない。したがつて被控訴人等は職務上の義務に違反し、または職務を怠つたものでも、地方公務員法に違反したものでもない(同法二九条一項参照)。

(う)  右転補処分以後も、被控訴人等は旭ケ丘中学校において執務していたのであるが、当時の同校校長北畑紀一郎はこれを承認していた。右執務は違法でない。また当時、同校における授業その他の学校行事は平穏かつ整然と行なわれていた。したがつて本件懲戒免職処分は要件事実誤認による裁量権の濫用である。

(え)  被控訴人等に対する転補処分がなされた後、控訴委員会は京都教職員組合との団体交渉に応ぜず、団体交渉権を侵害していたものであり、本件懲戒処分はその団結権を侵害する違法のものであつて(憲法二八条、地方公務員法五六条)裁量権の濫用である。

第二、控訴代人の陳述

一、被控訴人等陳述第一、一の事実は認める。

二、(1) 被控訴人北小路は昭和三四年四月八日京都府議会員選挙につき議員の候補者として届出をし同月二五日これに当選した。したがつて同被控訴人は同月八日に公務員たることを辞したものであつて、本件懲戒免職処分取消請求訴訟の当事者適格を有しない。

(2) 被控訴人山本は昭和三八年四月一七日に行なわれた京都市議会議員選挙に際し同月二日議員の候補者として届出をした。したがつて同被控訴人は同日公務員たる地位を辞したものとみなされるのであつて、本件懲戒免職処分取消請求訴訟の当事者適格を有しない。

三、(当時の客観的情勢)旧教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号。)三四条四項但書にいう「急施を要する場合」とは、その当時における客観的情勢その他諸設の事情から、その事件が行政措置上急施を要するものと認められる場合をいうものである。そこで本件臨時会召集に関するする告示がなされた当時の客観的情勢について述べることとする。

被控訴人等に対する昭和二九年四月一日付転補処分は、(イ)学校相互間の教育力の均衡を図る。(ロ)考課に基づき適材適所主義で行う、(ハ)教職員組織の刷新充実を図り、学校長の教育計画の実現に資する、という三原則に基づく定期的人事異動の一部であつた。ところが被控訴人等は転補処分に応ずればその動務していた旭ケ丘中学校の偏向教育を自認したことになるという理由にならぬ理由の下にこれを拒否した。同年四月九日不破教育長は被控訴人等に対し赴任すべき旨の職務命令を発した。同月一四控訴委員会の協議会で市川・吉川両委員が被控訴人等に対し赴任を勧告することを決めたところ、間もなく両委員は被控訴人等の赴任拒否を支持し父兄や市民とともに闘う旨を声明し、福原・北村両委員は反駁の声明をし、控訴委員会の内部は二対二の二派に分裂した。同月二〇日旭ケ丘中学校の生徒の父兄のうちでは旭ケ丘中学を憂うる保護者の会が結成され、控訴委員会あて善処を甲入れた。同月二一日京都教職員組合は京都市堀川高等学校に組合員約六〇〇人を集め被控訴人等の転任拒否を支持し、平和を守るため控訴委員会と闘う旨決議した。同月二二日京都市小中学校校長会、京都市PTA連絡協議会理事会、京都市中学校PTA連絡協議会は控訴委員会に対する警告書を発表した。同月二六日日教組大原中央執行委員が京都市に赴き、被控訴人等が懲戒処分されたときは京都市中学教職員を十割動員して対抗する旨の方針が決められた。同月二六日京都市小・中・高等学校PTA連絡協議会の臨時総会が開かれ、生徒の父兄等二〇〇名が参集して対策を協議した。

以上の次第であつて、日教組、京教組その他の団体は被控訴人等の転補処分拒否を支持し、他方、小中学校長会、PTA連絡協議会、旭ケ丘中学校の生徒の父兄の一部は控訴委員会に対し早急に被控訴人等について処置すべき旨要望したが、控訴委員会は二派に分裂して採決ができず、なんらの処置をすることもできない状態であつた。同月二八日渡米中の神先教育委員で帰洛したのであるが、両委員は事情調査等のため委員会の開催の猶予を求め、その調査等終了をまつて五月四日夕刻に至り翌五日控訴委員会の協議会が召集されることになつた。他方、旭ケ丘中学校では被控訴人等が引きつづき校務に従事しており、控訴委員会の行政運営上の著るしい障害が生じていた。

要するに、当時の客観的情勢は、本件臨時会の召集を一刻も忽せにすることができないものとしていたのである。

四、(臨時会の公開)本件臨時会は公開されていた。本件臨時会が開かれた昭和二九年五月五日(子供の日)に京都市役所の河原町通りに面した通用門横の小門だけが開かれ、他の門は閉ざされ、守衛が配置され、守衛は「旭ケ丘関係者」の入門を拒否していた。このような警備が行なわれたのは、当日も「旭ケ丘関係者が多数会議の場所に入り込んで会議を妨害するおそれがあつたからである。そのおそれがあるものと判断された事情は、原判決事実記載(原判決一二枚目表末行の「同月二九日」から同一三枚目表終りから二行目の「であつた」まで)のとおりである。

当日の警備は、まず前日四日の夕刻、控訴委員会事務局の畑秘書室長が芦田秘書課長にこれを依頼し、同課長は安田秘書課員に、同課員は田島守衛長に、同守衛長は各守衛にそれぞれ警備命令を伝達指示したのである。「旭ケ丘関係者」が旭ケ丘中学校生徒、卒業生、父兄、教員および京教組の役員をいうものであることは守衛等においても明確に理解していたところであつて、その範囲は不明確ではない。当日の警備方針は、守衛において「旭ケ丘関係者」を入門させない、旭ケ丘関係者であるか否か疑義のある者については上司の指示を仰いだうえ判定するべく、旭ケ丘関係者以外の者は自由に入門させるというのであつた。当日守衛において、入門を求められ旭ケ丘関係者に当るものとして入門を拒否した者は一名か二名にすぎない。要するに、一般市民の入門は可能であつたから、本件臨時会は公開されていたのである。

五  (協議会と臨時会との関係) 五月五日午前一〇時控訴委員会の協議会が召集され、委員全員(五名)参集のうえ午前一一時にその会議が開始された。右協議会において不破教育長が各委員に対し従来の経緯を説明し、委員間の意見を調整する必要があつた。ことに神先委員にとつてはアメリカから帰国後最初の協議会であつて十分に意見を交換するのに適当であつた。さらに被控訴人等の処分について緊急臨時会を開くべきか否かを協議する必要があつた。右協議会において、控訴委員会が京都教職員組合と被控訴人等の転補処分について団体交渉をなすべきか否かも討論された。そして緊急臨時会を開くことに各委員は異議がなかつたので同日午後二時三〇分頃協議会を閉じた。午後三時本件臨時会が招集され、その一、二分後に委員全員の賛成の下に秘密会に入つて議案が上程された。その際、市川・吉川両委員は退席し、その後残余の委員三名の全員一致をもつて本件懲戒免職処分の決議をしたのである。

第三、証拠関係<省略>

理由

一控訴人の訴願裁決不経由の抗弁について考えてみるに、本訴提起当時訴願裁決を経ていなかつたことは記録上明らかであるが、昭和三〇年一月一一日原処分承認の裁決がなされたことは当事者間に争がない。してみると、本訴は結局適法のものというべきである。控訴人の右抗弁は採用できない。

二職権をもつて審究するに、本件記録によると被控訴人北小路昂は昭和四〇年一〇月二三日死亡したことが認められる。ところで同被控訴人の本訴請求は控訴委員会が京都市立二条中学校教論であつた同被控訴人に対してした懲戒免職処分の取消請求である。思うに公務員の免職処分取消訴訟の訴訟物は、当該免職処分の違法性一般の主張であつて、違法性一般を主張しうるところの訴訟追行権は当該公務員に一身的に専属するものと解すべきである。他方、免職処分の取消判決が確定するまで(その判決に遡及効があることはいうまでもない。)、過去の金銭債権化した給料請求権(具体的給料債権)なるものは存在し得ず、したがつて訴訟係属中に死亡した当該公務員の相続人は口頭弁論終結時に具体的給料債権を有するものということはできない。たとえ相続人に具体的給料債権を相続取得すべき期待利益があつたとしても、それは取消判決によつて直接生ずるもの(行訴法九条参照)ではなく、取消判決の法律要件的効果ないし反射効にすぎず、相続人は当事者適格、したがつて訴訟承継適格を有するものということはできない。

してみると、被控訴人北小路昂と控訴人との間の本件訴訟は、昭和四〇年一〇月二三日同被控訴人の死亡によつて終了したものといわねばならない。(被控訴人北小路昂の妻北小路ユリの受継申立は不適法として却下するほかはない)。

三控訴人は被控訴人山本正行は当事者適格を有しないと主張し、<証拠>によると、同被控訴人は昭和三八年四月二日京都市議会議員選挙につき議員の候補者として届出をしたことが認められる。したがつて同被控訴人が本件免職処分の取消判決を受けたとしても、従前の公務員(京都市立四条中学校教諭)たる地位を回復するに由なきものである。しかし、同被控訴人は免職処分がなければ公務員として有するはずであつた給料請求権その他の権利・利益について救済を求めるため、本訴において免職処分取消の判決を求めることは必要かつ適切な手段である。したがつて同被控訴人は当事者適格を有するものというべきである。控訴人の右主張は採用できない。

四(被控訴人寺島・山本の懲戒免職処分取消請求について)

(一)  被控訴人寺島・山本は、その主張の転補処分が違法であるからこれを前提とした本件懲戒免職処分も違法である理由は、次の(1)、(2)のように附加訂正するほか、原判決理由記載(原判決一八枚目表二行目から同二四枚目裏一〇行目まで)と同一であるから、これを引用する。

(1)  原判決二四枚目裏三行目の「あること」の下に「が認められるが」を加え、同三行目の「橋本校長」から同六行目の「思われるが、」までを削る。

(2)  <証拠>によつても、不破教育長が被控訴人等に対する転補処分をするに当つて、被控訴人等においていわゆる政治的偏向教育をしたものと断定し、かつそれを転補処分の原因とした事実を肯認するに足りない。他にこれを認めに足りる資料はない。

(二)  被控訴人等が前示転補処分を拒否して、従前のとおり旭ケ丘中学校において執務していたこと、控訴委員会が昭和二九月五月五日付をもつて、被控訴人等を地方公務員法二九条一項一号・二号に該当するものとして懲戒免職処分(決議)をし、同日被控訴人等がその旨辞令書の送達を受けたことは当事者間に争がなく、これより先控訴委員会が同年四月九日被控訴人等に対し速やかにそれぞれ赴任すべき旨の職務命令を発し、被控訴人等がその命令書を返送し引つづき旭ケ丘中学校において執務していたことは被控訴人等の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなすべきである。

(1)  (告示の瑕疵の有無)

(イ) 被控訴人等は、本件臨時会召集の告示自体が適式になされていなかつたと主張するので検討する。

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

控訴委員会福原達朗委員長は、同年五月四日夕刻に翌五日午前一〇時京都市教育委員会室において、協議会を開催することを決め、控訴委員会事務局畑秘書室長、同係員を通じて、電話等で各委員に招集通知をし(市川白弦委員には五日朝係員によつて口頭で通知なされた。)、五日午前一〇時頃教育委員長福原達朗、教育委員神先幹子、吉川勝三、市川白弦および北村金三郎、つまり委員全員参集のうえ協議会が開かれ、協議が行なわれたが、主として事態収拾のため教職員組合側と話合い、交渉をすべきかどうかについて討議が行なわれ、被控訴人等を懲戒免職処分に付すべきか否かについては討議されなかつた。結局、神先委員が右話合いの必要がないとする福原委員長、北村委員の意見に同調するに至つたので、福原委員長は協議を終了し引きつづき被控訴人等の処分に関する臨時会(会議)を開催することについて各委員の意見を求め、各委員が同意したので同日午後二時半頃協議会を閉じた。直ちに福原委員長は午後三時同委員会室に本件臨時会を招集する旨宣した。そこで畑秘書室長は同室委員会係長に命じて不動文字のある告示用紙に「日時 昭和二九年五日五日午後三時、場所 京都市役所内教育委員会室、会議に付議すべき事件 (イ)教育長の報告 (ロ)議案議第三号教員の人事について」と記入させた。同室委員会係城守昌二はこれを封筒に入れて他の係員とともに京都市役所東側の河原町通りに面した通用小門を出た。通用門附近には被控訴人山本・寺島その他いわゆる旭ケ丘関係者約二〇名がいたが、城守は内心右告示書を奪取されるのをおそれてこれを隠し持ち、一たん電車通りを東へ横断したうえ歩道から迂廻して市役所南正面の東寄りの場所に従前から定置されている掲示板に至り、右告示書をこれに貼付した。そして他の係員はその写真をとつた。城守はそれから直ちに引返し約五分後に委員会室に近接した秘書室に戻つた。そして定刻午後三時に委員五名から成る本件臨時会が成立したが、人事に関する議事について従来秘密会を開いており、一、二分後に全員一致をもつて秘密会を開いた。そして被控訴人等の懲戒処分についての議案が上程された。右告示がなされた時から本件臨時会成立の時(午後三時)までの間、約二〇分であつた。

以上の事実が認められる。原審証人畑富雄の証言中「当日の協議会で、被控訴人等を処分すべしとする者三、否とする者二となつた。」旨の部分は、原審証人市川白弦の証言(第一回)中「右協議会では被控訴人三教官の処分問題の話は出なかつた。」旨の部分に照らし信用できない。原審正人畑富雄の証言中には「私がこの告示手続を命じて十分程して係員から手続完了の報告があつた。」旨の部分があるが、同証言中には「十分間位といつたのは暫らくの間の意味である。」旨の部分もあつて、前示部分をもつては、前示認定を左右するものということはできない。他に以上の認定を覆えすに足りる資料はない。

そこで右告示自体が不適式である旨の被控訴人等の主張について順次判断するに、右告示(旧教育委員会法三四条二項・四項)は、委員会の会議召集の事実を一般に周知させ、会議の公開と相まつて、会議の公正を担保する目的を有するものである。右の目的と当審における被控訴人寺島洋之助本人尋間の結果によつて認められる被控訴人寺島洋之助もかねて京都市役所正面東寄りの位置に掲示板が定置されていることを知つていた事実とによつて考えてみると、右告示書を掲示すべき場所は一定の場所に決められている方が一般に周知されるには適当であり、その都度その場所を移動させるのは不適当であるというべきである。また前認定のように、城守昌二は当日右告示書を隠し持ち被控訴人山本・寺島等の参集していた場所から離れた地点を迂廻してこれを掲示板に貼付したものであるが、告示の目的・機能に照らしその告示書を一定の位置にある掲示板に貼付すれば告示は発効するものである。告示するまでに告示書を一般人が見ることができるようにすることを要しない。右のような告示の現実的機能は、その記載事項を京都市の住民全員に個別的・積極的に通知させるものではなく(すなわち、住民全員が現実にこれを了知する必要はない。)、告示書が一般的に住民の了知し得べき状態におかれたときに告示としての効力を生ずるものというべきである。これをもつて、前説示の告示の目的に反するものということはできない。そして、事実の面において、前認定のように、城守昌二は右告示完了の時から約五分を経過した後に教育委員会室に近接した秘書室に戻つているのであるから、右告示完了の時(午後二時三〇分過頃)これを目撃した住民があれば、その者は会議開始の日時(午後三時)までに教育委員会室に入場することは可能であつたというべきである。さらに、旧教育委員会法三四条四項但書は「急施を要する場合」に当ると判断されたとき、告示をする時期について同項本文の三日前の制限がなくなる旨規定しているにすぎず、この規定をもつて、具体的事案毎に「急施を要する程度」なるものを具体的に判定したうえ、三日を最長とする期間の範囲内において、上記の程度に相応する日数又は時間の具体的長さの告示期間を判定裁量すべきことまでも要求している趣旨と見るべきものではない。

告示自体が不適式であるとの被控訴人等の主張はいずれも採用に値しない。

(ロ) 被控訴人等は、本件臨時会は召集告示の日から本件臨時会の日まで三日の予告期間をおくことができない「急施を要する場合」に該当しないと争うので検討する。

(被控訴人等と控訴委員会との関係を中心とする情勢)

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

同年四月一四日控訴委員会が開かれ、同協議会における協議の結果、京都教職組合等を選挙母体として選出された市川・吉川両委員の方で、被控訴人等の赴任勧告を考慮することにしたのであるが、翌一五日市川・吉川両委員は「被控訴人等に対する不当人事の撤回のため我々は父兄市民と共に全力を尽くす。」旨の声明を発表し、他方、いわゆる保守派とされていた福原・北村両委員は同月一九日「吉川・市川両委員の右声明は良識ある教育委員として誠に遺憾に耐えない。」旨の声明を発表した。当時渡米中の神先委員を除く残余の委員四名は、被控訴人等の転補処分拒否に関し二対二の意見をもつて鋭く対立するものであることが一般に明白になつた。同月二〇日旭ケ丘中学校の生徒の保護者の一部は「旭ケ丘中学校を憂うる保護者の会」を結成し控訴委員会に対し早急に善処されたい旨要望した。翌二一日京都教職員組合は京都市立堀川高等学校において組合員約六〇〇名参集の下に被控訴人等の転任拒否を支持する旨等の決議をした。同日京都市立中学校長会(校長五六名)が、翌二二日同市小学校長会がそれぞれ被控訴委員会の人事権確立を要望する警告書を発表した。同日控訴委員会に対し、同市PTA連絡協議会理事会が被控訴人等を処分すべき旨の勧告をし、同市中学校PTA連絡協議会が控訴委員会の人事権確立を勧告した。同月二六日同市小中高等学校PTA連絡協議会は臨時総会を開き父兄約二〇〇名参集の下に対策を協議した。同日京都市議会文教委員会は教育委員、教育長の出席を求めて早急に解決すべき旨勧告した。同日日本教職員組合大原中央執行委員は控訴委員会に対し「前示転補処分を撤回しないときはその組織を挙げて闘う」旨の抗議文を提出した。五月二日旭ケ丘中学校の生徒保護者総会が開かれ、保護者約八〇〇名が参集し、京都教職員組合側より経過報告をし、被控訴人等の転任拒否につき支援を求めた。これより先、四月二八日神先委員が早急帰朝の要請を受けて帰洛したが、同委員は公正な判断をするために双方の側から諸般の事情、意見を聴取したい旨申出た結果、控訴委員会の会議は延引を余儀なくされて教育長側においても焦慮していたところ、五月四日夕刻頃同委員より不破教育長に対し、控訴委員会の会議開催の申入れがなされ、福原委員長において翌五日午前中協議会を開催する旨決定した。そして前示認定のように、五月五日午前一〇時頃協議会が開かれ、午後二時半頃これを閉じ、午後三時福原委員長招集にかかる本件臨時会が成立し、午後三時三〇分閉会された。

以上の事実が認められる。

(旭ケ丘中学校等の授業の状況)

<証拠>を総合する、次の事実が認められる。すなわち、被控訴人等は転補処分以後も従前のとおり旭ケ丘中学校において校務に従事していた。担任課目のうえで被控訴人山本の後任者と目される近衛中学校から旭ケ丘中学校転補を命ぜられた某教諭は同被控訴人が赴任しない限り同一課目担任の教員が重複するので旭ケ丘中学校へ赴任することを差控える旨申出ていた。他方、被控訴人北小路の転補された二条中学校では、同被控訴人の授業受持時間をも他の教諭がこれを担当し、その受持時間が加重されたのに比べて、旭ケ丘中学校では、他校からの転任者は、前示某教諭を除き全員赴任しており、被控訴人等関係各担当の受持時間が軽滅され、その間に不均衡が生じていた。以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

叙上認定によると、次のようにいうことができる。すなわち、当時京都市においては、被控訴人等の転補命令拒否をめぐつて、一方において、旭ケ丘中学校の生徒保護者の一部、小学校校長会、中学校校長会、PTA連絡協議会、中学校PTA連絡協議会、小中高等学校PTA連絡協議会がそれぞれの有する社会的勢力を背景にして控訴委員会に対し、人事権の確立を要望し、あるいはその処置の延引を非難警告し、地方において被控訴人等を支援する日本教職員組合、京都教職員組合はその社会的勢力を背景にして控訴委員会の転補処分に抗議し、事態の収拾は一刻も忽せにできないほど緊迫していた。当時控訴委員会の委員神先幹子が渡米中であり、残余の委員は二対二で意見を対立し、委員会を開いても採決しえない状況にあつた。帰国を待たれていた神先委員が同年四月二九日帰洛したが、同委員の事情調査の必要上やむなく延引した末、五月四日その調査終了を待つて直ちに、すなわち五月五日協議会および本件臨時会が急拠開かれるに至つた。そして、被控訴人等の旧任校では、被控訴人等が依然として校務をとつており教員の数は過員となつているのに比べて、被控訴人等の転補校では定員不足となつており、一刻も早くその解消が望まれる異常の事態が生じていたのであつて、控訴委員会の教育行政上著るしい支障がもたされていた。さらに、控訴委員会に対する信頼とその権威は刻一刻失われる有様であつた。以上のようにいうことができる。

してみると、本件臨時会の召集権者である福原委員長が、被控訴人等に対する懲戒処分についての事件をもつて旧教育委員会決三四条四項但書にいう「急施を要する場合」に当るものと判断し、本件臨時会の前約二〇分の間をおいて召集の告示をしたことを裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用したものということはできない。

被控訴人等の前示主張は採用することができない。

(2)  (本件臨時会の非公開の瑕疵の有無について)

(協議会で実質的審議が行なわれたか否か)

同年五月五日午前一〇時頃福原委員長、神先、吉川、市川、北村各委員が参集して協議会が開かれたが、そこでは主として被控訴人等の転補命令拒否をめぐつて生じた異常な事態収拾のため、控訴委員会が京都教職員組合と交渉(いわゆる話合い)をなすべきかどうかが討議されたのであつて、被控訴人等の懲戒免職処分の是非が討議されていないことは前示認定のとおりである。してみると右懲戒処分の是非が討議されたことを前提とする被控訴人等の主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用することができない。

(本件臨時会自体は公開か否か)

<証拠>によると次の事実が認められる。

同年五月五日午前一〇時頃から午後二時三〇分頃まで協議会が、同日午後三時から三時三〇分まで本件臨時会がそれぞれ京都市役所内教育委員会で開催された。これより先同年三月二九日、三一日旭ケ丘関係者(旭ケ丘中学校の教員、父兄、生徒、卒業者および京都教職員組合の役員)多数が教育委員会室に入り込み混乱を生じた事例に照らし、その日(五月五日)も旭ケ丘関係者多数が教育委員会室に来集するおそれがあると控訴委員会側では考えていた。京都市役所の河原町通りに面した通用門横の小門(幅約八〇センチメートル)だけが開けられ、門の外側に、守衛二名、内側に守衛四名が配置され、他の守衛三名は連絡の任務についていた。守衛は旭ケ丘関係者の入門を拒否するよう指示されていた。他の休日には右通用門(幅3.90メートル)も開けられていたが、当日は閉ざされており、これを開けていたのでは多数の者に突破されるおそれがあると考えられていた。ところが意外にも(控訴委員会側にとつて)、当日午前九時頃から、午後四時頃までの間、右通用門附近に被控訴人山本・寺島、旭ケ丘中学校の生徒保護者、京教組合執行委員等約二〇名が参集していただけで平静であつた。守衛は右旭ケ丘関係者のうち一、二の者から入門を求められたが拒絶した。守衛は京都市職員、新聞記者数名の入門を許した。

以上の事実が認められる。

およそ公開とは、特定の場所に何人も任意入場しうる可能性のあること又は特定の場所で何人も傍聴しうる可能性のあることをいうのであつて、たとえそこに傍聴人がおるにしても、一般人の入場可能性が認められていない限り、公開ということはできない。入場可能性は外形上これを認めることができなければならない。たとえば傍聴券の発行(旧京都市教育委員会傍聴人規則第一条以下に傍聴券に関する規定がある。)は、一般人の入場可能性のあることを外形上明らかにするものである。そこで本件についてこれを考えてみる。前示認定によると、当日午前中旭ケ丘関係者多数が来集して混乱を生ずるおそれがあつたにしても、午前中来集した旭ケ丘関係者は約二〇名であり、午後その数は増加しておらず、平静であつたのであるから、傍聴を希望するその中の数名でも教育委員会室に入れて着席傍聴させるか否かを、控訴委員会において当然検討すべきであつたといわねばならない。そして、前示認定の状況の下では、一般に入場可能であることが外形上認められないというほかはない。したがつて、本件臨時会が開かれた教育委員会室は公開されていなかつたと断定するのが相当である。

(三)  (非公開の瑕疵は治癒されたか否か

控訴人は、本件臨時会は開会後一、二分で秘密会に入つたと主張するので考えてみる。

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

前認定のように本件臨時会の適式な召集手続でなされた後、同年五月五日午後三時京都市役所内教育委員会室に、委員福原達朗(委員長)、神先幹子、吉川勝三、北村金三郎および市川白弦全員が参集した。福原委員長は開会する旨宣し、本日の議事は被控訴人等の処分についての事件であるから秘密会にしたい旨発議したところ(教員の人事についての事件は、従来すべて秘密会で審議されていたのであつて、各委員ともこれを了知していた。)。全員一致をもつてこれに賛成したので、秘密会たる会議が開かれた。委員全員が定刻午後三時に参集して秘密会たる会議が開かれるまで、一、二分間であつた。ついで福原委員長は、被控訴人等の処分についての事件を上程し、教育長不破治に右事件の説明(経過等)を求めた。そこで、同教育長はその説明を始めたところ、吉川・市川両委員は「被控訴人等を処分することについて審議するのであれば退席する。」旨述べて退席した。その後引つづき右説明が行なわれた。その後採決に入り、残余の委員三名は、金員一致をもつて、被控訴人等の行為が地方公務員法二九条第一項第一号および第二号に該当するものとして、被控訴人等をいずれも懲戒免職する旨決議した。そこで福原委員長は秘密会を解く旨、ついで本件臨時会を閉会する旨宣した。閉会の時刻は午後三時三〇分であつた。

以上の事実が認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

思うに、会議においては、まず会議構成員の出席が確認され(旧教育委員会法三六条)、ついで議事(議案の上程、討論、採決)に入るであるが、会議は、議事に入るまでの準備的会議過程と議事に入つた後の本質的会議過程とに区分することができる。旧教育委員会法三七条一項本文にいう会議公開の趣旨は、議事、つまり前示本質的会議過程を公衆の監視下において、その公正を担保するにある。したがつて前示準備的会議過程の公開の必要性は少ないものというべきである。

次に、教育委員会の会議の公開は、裁判の公開のように憲法事項(憲法八二条)ではなく、裁判の公開の趣旨が歴史的に秘密裁判による公衆の不信を払拭するにあつたのと異なるばかりでなく、教育委員会の会議公開の制度は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によつて昭和三一年九月三〇日限り廃止されたのであつて、右会議の公開は裁判の公開のように絶対的なもの(たとえば民訴法三九五条一項五号参照)ということはできない。

以上述べたところから考えてみると、準備的会議過程の非公開の瑕疵は軽微なもの(一般に瑕疵は重大な瑕疵、通常の瑕疵および軽微な瑕疵に区分することができる。)と解するのが相当である。これを本件について考えてみるに、本件臨時会の秘密会たる会議は、一、二分間の準備的会議過程の後に開かれ(旧教育委員会法三七条但書には「秘密会を開く」旨規定している。)たものであつて、この秘密会は前示認定のように委員全員の一致をもつて適法に非公開とされたものである。すると本件臨時会の一、二分間の瑕疵、すなわち準備的会議過程の瑕疵は軽微なものであつて、これにつづく秘密会の開催、すなわち適法に非公開とされた本質的会議過程によつて、その瑕疵は治癒されたものと解すべきである。(他面、軽微な右準備的会議過程の瑕疵は、右本質的会議過程における議決に何等影響を及ぼすものではない)。

(四)  (裁量権濫用等の瑕疵の有無について)

被控訴人等は前掲事実欄第一、五、(あ)(い)、(う)、(え)のように主張するので、順次判断する。

(あ)の主張について。

控訴委員会において、被控訴人等が政治的偏向教育をしたものとし、かつ、それを原因として本件懲戒免職処分をした事実を認めるに足りる証拠はない(この点の詳細な理由は、被控訴人等に対する転補処分についてさきに説示したところと同一である。)。また、本件懲戒免職処分が、特定の政治目的実現のため、あるいは被控訴人等の団結権を侵害する意図をもつて行なわれた事実を肯認しうる証拠はない。したがつて被控訴人等の右主張は採用できない。

(い)前段の主張について。

控訴委員会が本件懲戒免職処分をするに当り、被控訴人等主張のような動機の有無およびその当否を判断しなかつたからといつて、直ちに恣意的で非合理な差別的取扱いをしたものということはできない。また控訴委員会が、他の懲戒免職処分に付された者の事例と比較して、何等いわれのない差別的な取扱いをしたものと認めるに足りる証拠はない。被控訴人等の右主張は採用できない。

(い)後段の主張について。

被控訴人等が前示のように転補命令を拒否し、もつて職務上の命令に違反し、かつ転任校において執務せず職務を怠つた行為自体をもつて(京都教職員組合が被控訴人等の右行為を支援したことは前示認定のとおりであるが、)、その属する京都教職員組合のための行為ないしその構成員としての資格における正当な行為ということはできない(地方公務員法三七条)。被控訴人等の右主張は採用できない。

(う)の主張について。

<証拠>によると次の事実が認められる。

北畑紀一郎は昭和二九年四月一日付をもつて旭ケ丘中学校校長に転補を命ぜられ、同月七日赴任した。同日北畑校長は同教諭であつて京都市中学校教職員組合同校分会長である浅野道雄から「被控訴人等を守るか」、「教育二法案に反対するか」等記載された公開質問状と題する書面を手交された。その後北畑校長は保護者会の席上で質問に応じて、被控訴人等の同校における執務を認めない旨答えたところ、その後浅野道雄から右発言の撤回を求められ、かつ二、三時間にわたつて非難された。北畑校長は性格の弱さもあつてこれに積極的に反論しなかつた。これより先同月七日北畑校長は被控訴人北小路の求めによつて、同年度の学級担任分掌表をやむなく黙認した。当時、北畑校長は、同校において孤立しており、校長としての監督指導を行うことが事実上できなかつこと、および保護者のうちの被控訴人等の転任拒否を支援する者と反対する者とが二派に分れて対立抗争していたことに苦慮していた。同校の生徒に対する授業、行事は外形上異常なく行なわれていた。

以上の事実が認められる。

右認定によると北畑校長は被控訴人等の転補命令拒否を積極的に阻止することができなかつたものであつて、その黙認は、同校長の本意でなかつたことが認められるばかりでなく、同校長自身が右転補処分を拒否することができないものであること(地方公務員法三二条)は同校長に明白であつたというべきである。してみると、北畑校長の前示黙認は本件懲戒免職処分の効力に何等の影響を及ぼすものではない。次に、同校における授業等が異常なく行なわれたいたにしても、同校と被控訴人等の転任校との間では、担任教員の受持時間に不均衡を生じており、教育行政上著るしい支障がもたらされていたことは前示のとおりである。被控訴人等の右主張は採用できない。

(え)の主張について。

たとえ控訴委員会が、被控訴人等の転補処分撤回要求についての京都教職組合の団体交渉申入れを正当な理由なくして拒絶したとしても、本件懲戒免職処分がその交渉申入を原因としてなされたとの事実を認めるに足りる証拠はない。又、本件懲戒免職処分が、右組合の弱体化その他団結権を侵害する目的をもつて、なされた事実を認めうる資料はない。被控訴人等の右主張は採用することができない。

その他、控訴委員会が本件懲戒免職処分をするについて、裁量権の行使を誤つた事実を認めるに足りる証拠はない。

(五)  してみると、被控訴人寺島、同山本の前示行為は、地方公務員法第二九条一項一号および第二号に該当するものであり、かつ、本件懲戒免職処分は適法な手続によつてなされたものといわねばならない。

五そうすると、被控訴人寺島洋之助、山本正行の懲戒免職処分取消請求は理由がないのでこれを棄却するべく、これと異なる原判決中控訴人の敗訴部分を取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九六条を適用し、被控訴人北小路昂と控訴人との間の本件訴訟は同被控訴人の死亡によつて終了したことを確認するべく、中間の争いについての訴訟費用の負担につき同法八九条九五条但書を適用し、主文のとおり判決する。(山内敏彦 日野達蔵 松田延雄)

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